一昨年、Wikipediaでは既に消えていましたが、ミラーサイトであるgoo Wikipediaに掲載されていた「UO三国志」という項目について、削除依頼を致しました。

さて今回は、同じWikipediaのミラーサイトであるWikipedia@pediaにも同様の情報が残っていましたので、削除依頼を行い、本日削除を確認致しました。
理由は前回同様

です。

2007年9月頃、UO三国志で言う5期頃にこの記事を見つけましたが、少なくても私の回りの参加者に「この記事を書いた」と名乗り出た方はいらっしゃいませんでした。
もし、仮にUO三国志参加者がWikipediaに「UO三国志」という記事を執筆したとなると、以下のようにならなければおかしいです。

UO三国志(―さんごくし)とは、ウルティマオンラインのAsukaシャードで1999年から行われている、三国志をベースとした非公式のプレイヤーイベントである。

(UO三国志の概要を記載)

また、Asuka以外のシャードでも、三国志をベースとしたプレイヤーイベントが存在し、企画運営がなされている。

(UO三国志の詳細を記載、以下省略)

参考までに、下の方にWikipediaに掲載されていた文章を付けました。

私がこのサイトで取り上げている「UO三国志」というイベントですが、確かに掲示板上、個人サイトでは「飛鳥三国志」と記載しているのは見ました。
しかし、公式サイトのタイトルは一貫して「UO三国志」ないしは「UO三國志」でした。
以前の記事でも「この記事は不正確だ」ということを申しましたが、このイベントの名称が既に間違っております。
Wikipediaは誰でも編集できるフリー百科事典を掲げているサイトのため、以下の疑問が生じます。

  1. 何故Asukaシャードで行われている「UO三国志」というイベントの名称を、改変する必要があったのか?
  2. 何のためにWikipediaに記載したか?
  3. そもそも誰が書いたのか?

興味のあるところではございますが、ここで取り上げる内容ではございませんので、割愛致します。

最後に、今回の件でご協力並びに当方からの要望をお聞き入れ下さった、Wikipedia@pediaを管理なさっているアットフリークス様へ、厚くお礼申し上げます。

Wikipediaに掲載されていた文章
この記事の解説する対象は「特筆性」を欠いているおそれがあります。
もしこの記事が解説する対象が百科事典に掲載するに足る特筆性を持つものであるなら、それを立証する出典を示してください。

UO三国志(―さんごくし)とは、ウルティマオンライン上で行われる非公式プレイヤーイベントの三国志武将になりきってのギルドWarのルールから派生したロールプレイングである。飛鳥シャードで2000年からいくつもの周期を経て、2007年7月現在「五期」が運営中である。大和シャードでは遅れること2001年より行われており、2007年7月現在「第7期」が終了したところである。瑞穂シャードや桜シャードで準備されたりしたことはあるが、コンセプトの違いなどにより継続できなかった。

飛鳥・大和シャードともに、基本コンセプトとしてHQ装備による参加となっている。このことは、装備品の差によるパワーバランスではなく、より技術力や組織力によるパワーバランスによる戦闘の結果を求めるものとなっており、UO三国志が他のギルドWarと一線を画する最大の特徴となっている。

UO飛鳥三国志

当初の参加者レギュレーションでは、UOプレイヤー暦6カ月以上でなければ参加できないなどがあり、UOを遊びつくした者や普通のUOに飽きた者を対象としていた。その後「参期」あたりから大人数によるイベントというコンセプトの導入から総参加者数100名規模の会戦が行われるようになり、初心者であっても参加できるようになっていった。

UO大和三国志

飛鳥シャードで行われていたUO三国志からより演義ベースに近づけたルールを構築し、現在双方で行われている陣地占領というコンセプトを先行して行ってきた。飛鳥シャードは、改変期にあってキャラクターの入れ替えを行うが、大和シャードはプレイヤーが望む限り固定できるため、長期間の参加者が比較的多いのも特徴である。

関連項目

外部リンク