既にUO三国志の歴史で軽く触れていますが、UO三国志ができるまでを少し掘り下げたいと思います。

1999年3月頃、当時AsukaシャードのメインBBSだったAsukaBBSにて、「三国志ギルドSYO(蜀)を立ち上げている。三国志が好きな人は加入しないか?」との投稿がありました。

これに触発されて当時PKをやっていた人が「ならばこちらはGI(魏)を立ち上げる!」との反応がありました。
「では私はGO(呉)を」「それでは○○(武将名)でこのギルドに参加する!」等々たくさんのレスが付き、投稿に巨大なツリーが出来上がりました。

BBSに投稿した劉備殿・関羽殿・張飛殿の3人によって始まったこの企画ですが、当初は魔法なしの、いわゆる武官のみのRPを構想していました。
しかし投稿への異常なまでの反響、そして「三国志といえば三国が死闘を決するもの」等の認識等により次第にギルドWar的なシステムとなり、魔法も使える文官の設置、領土戦(三国が領土を戦争によって取り合うシステム)等が組み込まれ、今のUO三国志の原型ができていきました。
※とはいえ三国志バザールや、後に数々のUO三国志内イベントを行ってきたあたり、企画立ち上げ当初の名残があるのかと思います。
 領土戦開催の日をお休みにしてイベントを行った事もありました

桃園の誓いのメンバーは、三国志RP当初の構想から日増しに乖離していくのを見て去っていったようです。
そして残った三国のメンバーによりこの企画が運営されていき、翌8月下旬頃に1期の領土戦が開始されるのでありました。

今回上記を書いたのは、以前のWikipediaの記載を思い出したからです。
UO三国志とは、ウルティマオンライン上で行われる非公式プレイヤーイベントの三国志武将になりきってのギルドWarから派生したロールプレイングである」の一文が引っかかったためです。

上記の通り、UO三国志は元々三国志の武将になりきるRPから出発し、ギルドWarに変わっていった企画です。
他のシャードではどうか分かりませんが、少なくてもAsukaシャードにおいてWikipediaの記載みたいに「ギルドWarから派生した~」とするには不正確と言わざるを得ません。
※MizuhoシャードはRPを続けていたようですので、これも当てはまらないように思えます

War一辺倒だったらUO三国志に続けて参加できたか、ちょっと怪しかったかもしれません。
領土戦外の息抜きとして、また交流を深める事としてのイベントもあったから続けられたと思います。

最後に、今回はUO 三国志 呉伝 (建国編)をベースに、UO三国志中で聞いたお話を追加して書いてみました。