今更ながら、私Miguelについて詳細を記載します。
どのようにUO三国志と関わっていったか、またUO三国志での役回りを書いていきたいと思います。


■UOの開始~UO三国志に入るまで

2000年11月頃(UORがリリースされてちょっと経った頃)からUOを始めましたが、ずっとトラメル育ちのいわゆるトラメラーでした。
UOを始めて半年以上経ち、鍛冶GMにしたのをきっかけに、トラメルBritainの北にある鍛冶屋で修理をしながら鍛冶仲間との談話を行っていました。

それから数年後のある日、3期からUO三国志をやっている知り合いから「UO三国志、やってみない?」というお誘いを頂きました。
詳しく聞くと「三国志をベースとしたWarで、スポーツ感覚でできるよ」とのことでしたが、「三国志自体はともかく、War!?ずっと鍛冶屋に入り浸ってる私にできるのかな?」というのが第一印象でした。
結局その知り合いにはやんわりと断ったようなことを覚えてます。

しかし知り合いから「初心者も多いよ」ということも言われたり、元々三国志も好きもあったので、遂に2005年12月頃にUO三国志の世界に足を踏み入れ、知り合いと同じ国である蜀に所属することとなりました。
※実は私がUO三国志に入る直前の三国志イベントに、別キャラでこっそり参加してたり…


■4期(2005年12月頃~2006年6月頃 蜀で参加)

UO三国志の花形は武官ですが、殴り合いに慣れてないのと、狩りの時に魔法使いでよく行くので、文官を選択しました。
とはいえ私の入った当時の蜀は結構メンバーが抜けていて下降気味、領土の防衛は何とかなったけど侵攻に失敗が多々あり、三国の中でも弱小国でした。

入って数ヶ月後には他国の猛攻が激しくなり、ジワジワと蜀の領土が他国から削り取られ、蜀の首都陥落も考え出した頃でした。
抜けていた蜀のメンバーが徐々に戻り、次第に会戦でも勝てるようになってきました。
そして一時期40名近くのActを叩き出し、他国を圧倒して領土も他国と肩を並べつつありました。

しかし途中で蜀を抜け、4期の私の活動は終了しました。

—–

4期はまず、元々生産系メインだったこともあり、入ってしばらくして物資管理の担当を始めました。
秘薬からPOT補給等に当たります。
意外に疎かに出来ない分野ですので、毎週補給を行った記憶があります。

次は蜀のWeb管理を担当しました。
昔、別のサイトを管理してた関係です。
管理担当後は、慣れないながらも機密室のメニューを変えてみたり、蜀公式サイトの写真を付け加えたりしていきました。
これら2つは、私が蜀を辞めるまで担当していました。


■5期(2007年1月頃~2008年3月頃 魏で参加)

前期は蜀でしたが、「ちょっと所属する国を変えてみよう」と思い、5期は魏に入りました。
最初は魏VS呉蜀の戦いになっていましたが、呉の粘り強さで他国を圧倒し、そのまま呉の勝利で5期は終わりました。

—–

入ったのが5期準備期間中でしたので、各国とも5期の会戦をどのように戦うか、どういった編成にしようかで対応に追われてました。
魏ももちろんその状態でしたので、4期で経験した物資担当及びWeb担当、そして新たに運営委員に名乗りを上げました。
特に運営委員に名乗りを上げたことにより、自分の所属する国内だけを見てた4期と違い、他国の状況等も見るようになり、
視野が広くなったように思います。

但し運営委員も楽なものではなく、他国の運営委員さんと意見が分かれるときもあり、精神的に参ってしまい、
結局名乗りを上げてから2ヶ月~3ヶ月(会戦が始まって2ヶ月ほど)で運営委員の座を降りることとなりました。
その代わり(?)新たに国内参加者の管理・点呼を取ったりする人事担当に就任しました。

5期も文官(楊脩)での参加でした。
魏国内でエース的存在である爆弾官の方が、ある日旅行で出られなくなるときがありました。
その時、たまたま別キャラでアルケミを持っていた私に白羽の矢が立ち、その方の代役で爆弾官を務めました。
そしてその方が引退した後は、私が基本的に会戦で爆弾官を担当することとなりました。

9月頃、私は曹植に武将変更をしました。
同じ文官ではありますが、曹操の血を引く武将でありますので、当時なられていた君主の代役をいつでも務められるようにとの考えからでした。
※もちろん当時の君主と相談しての決断です。
 元々曹植を使っていた方がいらっしゃいましたが、引退され期日が経ったが故の武将変更です
 
2007年10月に行われた第2回東西戦のWeb担当もしました。
発案者からの案を元にWebに落とし込む作業を行い、当日は司会をしていた発案者の横に立ちつつ戦に参加していました。
そして約2年半後にレポートを記載しました(汗

翌年1月、遂に魏の首都である許昌が陥落、以後は復興戦になったのを機に私が君主に就任することとなりました。
しかし事態は好転せず、結局呉の圧勝のまま5期を閉じることとなりました。
※会戦の終わりなどで一席をぶつのですが、普段と違うキャラを演じるのが大変だったかなと(汗


■6期(2009年2月頃~2009年6月頃 蜀で参加、2009年7月頃~2010年3月頃 呉で参加)
4期で蜀、5期で魏とくれば、6期は呉といきたかったのですが、呉の登録武将が多かったため、最初は蜀で参戦しました。

会戦が始まって当初は、少数精鋭の魏が三国を圧倒していた感じでしたが、後半になって呉が盛り返しました。
そして魏及び蜀のアクトが次第に少なくなり、翌年2010年には蜀が領土放棄宣言を出す異常事態を迎え、魏もアクトが回復せず
運営判断により魏も領土放棄と見なし、呉が残る形でそのまま6期は終了するのでした。

—–

蜀にいたときの担当はWeb管理及び人事担当です。
物資に関しては、GHの家主さんがなさるとのことで、少し楽になった気がします。
Webの方は今も残ってますが、新しい試みとしてBlog形式のシステムを立ち上げて、管理するような方法を採りました。
しかし2009年6月にリアルが忙しくなり、蜀を脱退することとなりました。

翌7月、リアルでの目処がついたため、呉で復帰することにしました。
入ったときは既に呉のシステムが出来上がっていたため、特に担当するものはありませんでしたが、
呉に入って直後の会戦で、呉の爆弾官がリアル都合で出られなくなり、急遽私が爆弾官を担当したことは覚えております。

9月頃、運営委員に就任しました。
前期同様、主に会戦の審判や侵攻先の決定などに立ち会う事を担っていましたが、前期よりかは精神的に楽にできた気がします。
但し翌年の蜀による領土放棄宣言、魏の領土放棄判断については、他の運営委員さんと議論を重ね、慎重に決定していきました。


■そして7期準備(2010年4月~)
準備委員に参加せず、こんなサイトを開いております。
一度こういったサイトを開きたかったのもあるし、資料からまとめるような作業が私に合っていそうだからです(何


■おしまいに
色々な国を回り、色々役職を体験してきました。
私が未体験の役職は…会戦時の副将とボーラ官、それと全軍指揮くらいでしょうか。
いずれも私には苦手の分野だったり。
あと武官も、もし7期があるならやってみようかななんて思ったりします。

私めに色々と役職を体験させて下さり、こういったサイトを作るきっかけを与えて下さった三国の方々、本当にありがとうございます。
おかげでサイトの方は、自分でも把握がちょっと難しいくらい大きくなりました。

ということで以上をもちまして〆に代えさせて頂きたいと思います。